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姫路で活躍するスゴイ人

姫路を代表する文化人・版画家岩田健三郎の地域愛

2016/09/21

 姫路市とたつの市、太子町の公立小学校で使われている「ドリル」の表紙。40年もの長きにわたってその絵を手掛けている岩田健三郎さん。姫路が代表する文化人のひとり、岩田さんは版画家として多くの作品を世に送り出してきました。自然の風景や子どもたちの楽しそうな姿を描いた絵はなんだかほっとするような優しさを感じます。
 こんなに長く続けられるとは思わなかったと語る岩田さんに40年の苦労や喜びを伺いました。

40年間ドリルの表紙を描き続ける

教材の表紙を描くということ

 「批判もいっぱいありました。教材っぽい絵を求められていましたが、それは結局描かなかったですね」

 もともとこの「ドリルの表紙」の仕事には若手芸術家を支援するという目的がありました。当時、姫路地方文化団体連合協議会(姫路文連)会長で、出版社を経営されていた故黒川緑朗さんが姫路で絵描きを志す若い人たちに順番に仕事を依頼されていました。お役が回ってきた岩田さんは当初その仕事を引き受けることに悩みました。
 以前このドリルの表紙を担当していた先輩たちの絵に疑問を感じていた岩田さん。「教材らしい絵」とはなんだろう。「らしい絵」が描けないのです。

 よくよく考えてみるとわかったその理由。
「勉強をしてなかったんやから、教科っぽいかどうかなんてわかるわけあらへんな」
 そこからは開き直りました。苦手なものをわざわざ描かずとも描きたいものを描けばいい。その方が子どもも喜ぶに決まってる。そうして出来上がった表紙を、黒川さんは何も言わずに採用。無事に岩田さんの表紙が描かれたドリルが出版されました。

賛否両論、これでいいのかと悩んだ時期も。

 「こんな絵はドリルの表紙にふさわしくないんじゃないか」
 それまでドリルの表紙に何も言わなかった学校の先生たちが、岩田さんの出来上がったドリルを見て言うのです。意外な反応に黒川さんは驚かれました。
 「先生方はドリルの表紙なんて見てへんと思っていた。」

 それならもう1年と2年目に繋がっていきます。悩みながらも「子どもたちが楽しめる絵」を描き続けるというスタンスは崩しませんでした。黒川さんの「まかせるわ」という言葉には大変助けられたそうです。

 さて、ドリルの表紙を任されるようになってから5年。時間が経つにつれて岩田さんの絵には支持者が現れ始めました。実際にドリルで勉強をしている子どもたちです。新たなドリルが発刊されると、子どもたちからの親しみを込めたダメ出しが。「今回腕落ちたな~」「ちょっと展開悪いんちゃう~」そんな悪態をついてくる子が、ちらほら出てきました。
 「子どもの版画がライバルやと思っています。子どもたちの描く作品を超えたいんです」
 自分の作品と子どもの作品を並べたくないのは、比べるとどうしても素直さには勝てない。ドリルの表紙という色々な条件がある中で描いた大人の作品は、子どもの絵のようにはなりきれないところがあります。「しかし子どもの心を忘れない」というのは常に一つの課題であると岩田さんは語ります。

「絵を描くという仕事」岩田健三郎のやり方

自分の描きたいものはない。求められたものに全力で応える

 30歳のころ「絵を描いて生きていく」と決めたときから自分の描きたい絵を描くことはなくなったといいます。自分の世界観を表現するために絵を描いているアーティストもおられるけれど、岩田さんは自分のために絵を描いてはいません。

 「こんな絵を描いて」と求められたものを全力で描く。そうすると確実に喜んでもらえる人がいる。絵を見る人のことを考え、編集者と私、それぞれが役割分担をして作品を作り上げていく『合作』なのです。全ての作品に描くための動機や理由がある。それが岩田さんの仕事のやり方です。

見たことないものは描きません

 実は岩田作品の全てにモデルが存在します。「見たことがあるもの、行ったことがあるものしか描かないんです」風景も人物も全部実際に存在する場所や人がいて、岩田色に染めていきます。

 中学校時代の美術の打越先生に「何を描きたいのか、出掛けて見つけなさい」と教えられたのです。岩田さんの描き方はこの教えに繋がっています。目的の場所に行く道中にひらめきが起こることも。絵を描くためには「どこかに出掛ける。足を運ぶ」ことが必要だといいます。

 出来上がった版画には全て限定番号を振っていきます。一番初めに刷る絵は「0/100」とし、モデルとなった人に贈ることにしているそうです。

男と女の違いを感じる

 40歳を過ぎてから岩田さんは「おばさんになりたい」と強く感じてきました。妻である美樹さんを見ていると女性のものの見方は素晴らしいと感じるそうです。
 二人で歩いていると、それだけで楽しんでいる美樹さん。道行く人の服を見たり、髪型をチェックしたり、それぞれの良い所を見つけてはニコニコしている。男より女の方が日常の楽しみ方が10倍上手い。男はただ歩いているだけで損している。

 「おばさんになろうとして時折真似てはいますが、なかなかなりきれない」とぼやく岩田さん。服を買いに行けば、縫い目やボタンを細かくチェック。店員の本音を見抜いたり、価格を気にしたり。1着の服を買うときの項目を美樹さんの行動からすべて見て学んだそうです。日常をより楽しむためには「おばさんになる」ことが一番の近道ではないかと話します。

仕事への誇りを持っているか

 「絵だけで食べていけるのだろうか」絵描きの誰もが悩むこと。

 数十年前に「手作りでやっている職人に会いに行く」という企画の担当をしたときのこと。昔ながらの手法でただ一つのことをやり続けている人達に「ようそんなもんで食べていけますな~」と純粋に疑問をぶつけたことがありました。

 そういった職人さんたちに、「この仕事をしていて結婚できるんですか?」と、質問すれば100人中100人がこう言ったといいます。「ついてこれへん女はついてこんでいい」その言葉に深く感銘をうけた岩田さんは、自身の結婚のことを考えるようになりました。

 また、あるそろばん職人の言葉も忘れられません。「世間が食べさせてくれないなら世間を見限れ」高級そろばんを手掛ける職人さんを訪ねたときの言葉です。何十万円もするそろばん、今の時代でも買う人がいるのかという疑問からその職人の強気発言には「勝手な考え方やな」と感じました。
 しかし後日、事務職のプロの何人かにそのそろばんを紹介したとき「これは良い」と大絶賛。高くても買う人は買う。プロの仕事はプロを呼ぶ。そう実感した体験です。この出来事をきっかけに「仕事には誇りを持たねば」と思ったといいます。

 「なんでもいい人」「それじゃなきゃダメな人」
 それじゃなきゃダメだと思っている人に届く絵があるんじゃないか。誇りを持った仕事をして、子どもに好まれる絵の中でも本物でありたいと心から思う。絵描きという仕事に誇りを持っている岩田さんの考え方です。

物事を続けることで見えてくること

60を超えて考える人生のテーマ

 20歳のときに30歳の自分は想像できたが、60歳を過ぎると未来の自分が想像できないという岩田さん。曰く「周りの人たちは80歳を過ぎても現役で働いている人たちばかりだから、老いるということがわかってなかった」

 暮らしに根差した版画を作ってきて、60歳を超えてからは改めて暮らしの中の衣・食・住を考えたいと思い始めました。ここで生まれて育てられてきた。「播州の暮らし」というテーマで「着る・食べる・住まう」それぞれの地の座を発足し、地元の専門家の人たちとともに何かしたいと考えました。
 よそから来たチェーン店に、これまで地元の家業としてやってきたお店がつぶされていきました。あるいは、地元の人も地元の家業を見限ってつぶしていったともいえます。

 「この地で生き続けていくのにはどないしたらええのやろうか」
 地の者が、地のモノを、地の人に届ける。そうした活動がスタートしたのは2005年のことです。

健三郎の三年ルール

 何か新しいことをはじめるとき、岩田さんはまず3年耐えることからはじまります。3年が3回続けば一区切り。はじめの3年はチャレンジ、次の3年でチームを作り、残り3年で答えを出して、最後の1年をやりきる、10年でワンセット。その先どうするのか、「やめる」を含めて考える。図らずも岩田さんの名前にも「三」という数字が含まれる、岩田さんの三年ルール。

 地の座の活動は今年でスタートから11年、いわば「創業」の時期を超えたといえます。どんなことでも一から始めるのは大変なエネルギーがいること。10年以上続けていくにはマンネリを覚悟しないといけません。
 今年、一区切りをつけるために例会の開催場所を移すことに決めました。スタート当初から手柄にある酒蔵・灘菊さんのスペースを借りて月一の会議を開催していました。同じところでやり続けることで味が出ることもありますが、どうもにごってくるようにも感じたそうです。この区切りの11年目、場所を変えての活動。今後の展開にも注目が集まりそうです。

起承転結のどこにいるのか

 冒頭で紹介したドリルの表紙絵。毎年、国語・算数・理科・社会の4枚の絵を手がけます。一つのテーマを設けそれぞれが「起・承・転・結」となっており、その物語もこの作品の大きな楽しみ方の一つです。

 さて、人生もいわゆる起承転結の真っ最中。いまどの時点にいるのか。ひとが何か物事を起こしたとき「承」になり、その後どう「転」じればいいのか。
 例えば、思いがけずして災害に見舞われ、転じてしまう人も中にはいます。天変地異によって人生の方向か大きく変わることも。しかし、そうでなくてもやはり「転」を自分で何度も何度も作ることが大切なことだと思います。そして最終的に「結」をどこに持って行くか。

 「自分で結果を考えるな。それは人が評価してくれることで、神様の仕事だ。アホはアホのように生きる。流れにゆだねよ」これは岩田さんの師匠のお言葉。自分で出す結論というものはなく、転じた結果がおのずと出てくる。「結」は最後のお楽しみにとっておきたいと岩田さんはいいます。

もうすぐ100号。ヘラヘラつうしん。

 100号を目前に控えた「ヘラヘラつうしん」。ヘラヘラつうしんとは岩田さんが毎日描く絵日記を冊子にまとめたものです。毎週創作・編集・製本をすべて自分で行い、販売しています。内容は岩田さんの日常感じたこと、出会った人、ふとした出来事。実直な言葉で綴られたそれらは、岩田さんの人生そのもののようにも感じます。

 「続けることがしんどいときもある」
 100と言う数字が少し先に見えてしまうと、もうすぐや、という気持ちから逆にきつく感じることも。しかし、読んでくれる人がいるということが続けていける理由とも言います。400円という安くない金額を出すことをいとわない人がいてくれることが岩田さんにとってすごく嬉しく、続けていく上での支えになっています。
 「購読者の家に100冊ずらりと並んでいるところを想像しては、お部屋の貴重なスペースを邪魔してはいないかと心配になる」そう語る岩田さんの顔は喜びで満ちていました。

 100冊までのヘラヘラつうしんは主に岩田さん自身の出来事がメインの内容でしたが、それ以降は「人を語りたい」という岩田さん。周りの魅力的な人を紹介していくという目標を掲げ、ヘラヘラつうしんの連載は今日も続きます。

版画家 岩田健三郎さん プロフィール

1947年姫路市生まれ、いまも在住。版画家。
ケーブルテレビやラジオのパーソナリティ。サンテレビ「ふるさとステーション」のレポーターを13年。 神戸新聞夕刊に「なくなりつつあるモノ でも心に残るモノ」を連載、神戸新聞総合出版センターから本に。2005年からは食・地の座の座長を務め「播磨の暮らし」について様々な取り組みを行う。